過去に配信されたメールマガジンの記事になります。東大生の生の声が綴られています。お楽しみください!
(なお、執筆者の科類や学年は執筆時点でのものとなります。)
私はよく、「かとゆいって強いね~~~」と言われます。
けっこう昔から言われてきました。
まあ、すぐに泣く女子は嫌いだったし、言わなきゃいけないことははっきり言う方だとは思ってますけど、
1人で泣いちゃう夜もあるしそんなに強くないよ~~ぴえん…って思ってきました。
最近は、まあ、強いかどうかは分野によるかな///足は遅いよ。くらいに思っています。
それはそうと、要は人間強い面も弱い面もあるとは思うのですが、客観的に見たら私は圧倒的に強者なのだと思います。
東大に入れるくらいには勉強ができて、東大進学や一人暮らしを許してくれるような家庭環境や経済状況で育ってきて、今のところいたって健康。
ほら、めっちゃ強者です。
そして、おそらくこのメルマガを読んでいる皆様も強者側の人が多いと思います。
このメルマガを購読してくれているような人は、おそらく勉強ができるほうだし、意識も高めな人が多いと思うからです。
人間は本質的に、自分の立場でしかものを考えることができません。
自分では思っていなくとも、強い我々は強い立場でしか考えることができません。
足し算ができないクラスメイトに対して、なんでそんなこともわからないの?と思ったこと私はあります。
わからないものはわからないのにね。
このように強い立場から、自分が「できる」立場から考えることを、私は「強者の理論」と呼んでいます。
強者の理論は間違っていません。いたって正当で論理的なことが多いです。
しかし、それを全員が出来るとはかぎりません。全員が受け入れられるとはかぎりません。
ひとにはひとの能力や状況があります。
だからこそ私は、強い人こそ一概に強者の理論だけを論じてはいけないと思います。
それができない人のことを心から思うべきです。
それができない人が抱える背景に目を向けるべきです。
授業で読んだ論文に、共感とは、自分の足で相手の靴を履くことではなく、相手の足で相手の靴を履くことである、と書いてありました。
その通りだと思います。
もちろん、最初に書いた通り、人は自分の立場でしか考えられないものですが、極力努力することはできると思います。
相手の足をよく観察し、計測し、相手になり切るのです。
簡単な例でいうと、私は勉強ができるから、なぜそれが分からないの?と思うことがあるけど、
私は運動ができないから、なんでそれくらい走れないの?と言われたときの気持ちはわかります。
だからなぜそれが分からないか、は愚問だとわかるのです。
(まあ、勉強や運動についてはやり方や習慣の問題はあると思いますけど、できないものはできないんだ~という一例です)
今勉強している分野では、非常に弱い立場に置かれてしまっている人がたくさんいるのだということを学びます。
本人の努力だけでどうにかなる問題でないことも学びます。
強い人は、努力すれば何とかなると思ってしまうことが多いし、私もそう思ってしまうこともたくさんあります。
それでも、強い人は弱い立場になってしまっている人のことを思うべきだと、私は思います。
私自身もまだまだ完璧ではありません。
それくらいできるでしょ、と思ってしまうことも何度もあります。
ですが、なるべくできないことを理解しようと努めるようにしています。
だって自分もできないことがたくさんあるし、いつ何ができなくなるかもわからないもんね。
そういう時にむげにされたくない。
きっとこのメルマガを読んでくださっている皆さんはこれから強い立場に立つことが多いでしょう。
だからこそ、靴の良し悪しを判断するときに自分の足だけで試さないでほしい。
よかったらいっしょにがんばってみましょう、相手の足になることを。
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