【逆境を味方に】地方から効率アップで東大へ【合格体験記】

地方高校生に、追い風を

↑ 高校3年生のときの教室


はじめに

東大生のうち、首都圏出身者は約6割。初めて見る人にとっては衝撃の数字ではないでしょうか。

しかし、都会に住んでいなければ東大合格は難しいか、有名な塾に通わなければいけないかというと、必ずしもそうではありません。

この記事では、東大とは無縁の田舎から文科二類に合格した私の経験と工夫をお伝えします。


ど田舎から東大へ

私の出身は、佐賀平野の端のとある町です。家の周りには田畑が広がり、3km先にある2階建ての中学校を望むことができました。

大学進学が決して当たり前ではない地域で、東大をはじめとする最難関大はテレビの中の遠い存在でした。中学では部活動中心の日々が続き、最後の夏の大会が終わるまで、受験に向けた勉強はほとんどしていませんでした。

そんなど田舎で育った私が東大を意識し始めたのは、高校1年の夏でした。

県内ではトップといわれる公立高校に進むことができ、同級生のレベルの高さを思い知らされていた時期です。
将来の目標どころか、文系と理系のどちらに進むかすら決め切れていなかった中、当時の学年主任の先生から呼び出され、こんな風に声をかけられます。

「入ったあとに学部を選べる大学もあるよ」

「ちなみに東大っていうんだけど」

今思えば妙な誘い文句です。

まさか自分が東大を目指すことになるとは思っていなかったので、その場では苦笑いと曖昧な返事でごまかしました。
それ以降、どこかこそばゆく感じながらも、模試などの志望欄に「東大」と書いてみるようになりました。


電車通学生の勉強法

高校時代は電車通学で、家から学校まで片道1時間ほどかかっていました。

電車といっても、都会のように便利なものではありません。自宅の最寄駅に停まるのは1時間に1本、昼間にいたっては2時間に1本しかないというひどい有様でした。1分の寝坊が命取りです。その気にならずとも、時刻表はすべて頭に入ります。

北部九州の進学校には、いまだに朝補習(0限)の文化が残っているところがあります。私の母校もその例に漏れず、7時50分から一日の授業が始まっていました。

その時間に間に合うために朝は6時起き、放課後はバドミントン部の活動後、21時ごろに帰宅する生活が続きます。平日は疲れてしまって十分な勉強時間を確保できず、授業の課題をこなすのがやっとでした。

中には3年間だけ高校の近くに引っ越す友人もいましたが、そんなことはできません。
環境を変えられないのならば、自分が変わるしかない。逆境も逆手にとってしまえばこっちのものです。少ない勉強時間で確実に力を伸ばしていくため、自然と効率を重視するようになりました。

具体的な方法は次の2つです。
1. 授業で9割理解する
2. 電車の時間でコツコツ暗記


1. 授業で9割理解する

学校で授業を受けている時間は、毎日7時間ほど。これより家庭学習の時間のほうが長いという人はほとんどいないでしょう。

ならば、授業をおざなりにする手はありません。特に私の場合、塾や通信教育は利用していなかったので、学校の授業がすべてでした。授業の内容はその場で理解してしまうことを目標にして、疑問点はその日のうちに解消するよう徹底していました。

一度理解してしまえば、あとは定期試験や模試の前に苦手な部分を確認するだけで十分です。まとめて復習するのと比べると、効率は格段に上がります。

ここでのポイントは、覚えるのではなく「理解」することです。

授業中、板書を写しながら、常に「なぜ」を意識するようにしていました。

文系であれば、社会科目が一番わかりやすいかもしれません。

たとえば、なぜオーストラリアで白人至上主義が形成されたのか。なぜ東京に人口が集中するのか。授業中に先生が話してくれるのは、事実や答えの背景にある「なぜ」の部分です。教科の枠を超え、地学や生物の知識ともつながって本当に楽しかったのを覚えています。

数学などでも同様です。

ベクトルの使い方を知るだけではなく、なぜその問題でベクトルが役立つのかを考える。穴埋め式の試験でしか使えないような小手先の技を覚える前に、なぜその方法が成り立つのかを確かめる。正解にたどり着くまでの思考を言語化することで応用の幅が広がり、記憶にも残りやすくなります。

このように「なぜ」を理解していたからこそ、東大の入試問題にも楽しく取り組めたのではないかと思います。


2. 電車の時間でコツコツ暗記

理解重視で勉強してきた私ですが、中学時代からずっと苦しんでいたことがありました。

暗記です。

様々な知識がつながっていくのが楽しかった反面、何の関連もない事柄をひたすら覚えるのは大の苦手だったのです。

電車に揺られる時間は片道30分ほど。最初のうちは、移動時間くらいゆっくりしたいと割り切っていました。

しかし、高2になって「覚えていないから解けない」という問題が増えてきてからは、さすがに悔しさと危機感を抱きはじめました。

まずは英単語帳からはじめ、その日の気分に応じて4択式の英文法の問題集や古文単語帳を開くようになりました。時にはスマホを使ってCDの音声を聞いたり、気になるところをその場で調べたりしながら取り組むこともありました。

言語ですから、すべてに明確な由来があるわけではありませんが、たとえば「pull up」で「駐車する」という意味になるのは、手綱を引いて馬を止める動作の名残です。これを知るだけで絶対に忘れなくなります。

何度も毎日繰り返していくうちに習慣化し、受験期には社会や理科の暗記も電車の中で済ませるようになりました。

結局、机の前に座って「今から暗記をやるぞ!」という時間を作ったことはほとんどなかったのですが、むしろ電車の中でちょっと確認するくらいのほうが気軽で良かったのかもしれません。

1日1時間でも、2年間続ければ約700時間。我ながら置かれた環境をうまく利用できたと思っています。


支えてくれたもの

質を高めることで相対的な勉強量の不足をカバーして、高3の秋までにはなんとか東大を狙えるレベルに到達することができました。

周囲からはこのままいけば大丈夫だろうと言われるようになり、私自身もそう信じて突き進んでいました。

しかし、二次試験の直前、それも東京に向けて出発する前日になって、それまでに感じたことのなかった強い不安に襲われます。これまでに積み重ねてきたことよりもやり損ねたことに目が行き、培ってきたはずの自信を完全に失ってしまいました。

この1年間、自分がやりたかったことを犠牲にし、負担になりそうな人間関係を多少切り捨ててまで勉強を最優先にしてきたのに、それがすべて無駄になってしまうのではないか。その怖さは今でも鮮明に覚えています。

ついには、私が東大を目指すきっかけを作ってくれた学年主任の先生の前で涙をこぼしてしまいました。

そんなとき私を支えてくれたのは、他でもなく、それまで切磋琢磨してきた友達でした。「本当はめっちゃ怖い」「さすがにしんどい」と弱音を吐くことができたのは、それが初めてだったと思います。

きっと大丈夫と言われていただけに、勝手にいろいろなことを背負ってしまっていたのでしょう。受験会場に到着してからも、その友達の顔を思い浮かべると心を落ち着けることができたような気がします。自分のことで精一杯だったはずなのに私に寄り添ってくれた友達には、今も心から感謝しています。

高校時代を振り返ってみても、一番楽しかったのは、放課後の教室で友達と一緒にわからん、わからん、と言いながらなんとか目の前の問題を理解しようとしていた時間でした。1人で考えたこと、1人で覚えたことよりも、友達と一緒にやったことのほうが何倍も記憶に残りやすかったと思います。

もちろん、同級生だけでなく、応援してくれた家族や地元の友達、最後の最後まで向き合ってくれた先生、本当に多くの人に支えられていたからこその合格でした。

受験前に作成していた「合格したら報告する人」のリストは、200人をゆうに超えていました。


おわりに 〜始まらないキャンパスライフ〜

学年主任の先生の前で涙を流したのは全部で2回。1回目は受験直前、2回目は合格発表の日。嬉しさと安堵と感謝がぐちゃぐちゃに入り混じった涙でした。

しかし、喜べたのも束の間。上京後の私を待っていたのは、思い描いていたものとは全く違う生活でした。

コロナ禍で入学式は中止。
キャンパスに行くこともできず、数少ない友人との交流はすべて画面上。

せっかく興味深い講義を聞いても、それについて語り合える相手がいない。それどころか、毎日出される大量の課題に追われるばかり。高校時代は思考すること、議論することがあんなにも楽しかったはずなのに。

このままでは、これまで自分を支えてくれた人に顔向けできない。そんな思いも脳裏をよぎります。と同時に、そうした支えが受験期の自分にとっていかに大きなものだったたか痛感しています。

自らの選んだ道が間違っていなかったと自信を持って言えるのは、もう少し先のことになりそうです。

努力の結果が思い通りの形になるかは、誰にもわかりません。
それでも、一つの目標に向かって頑張ってきたという自信が、きっとあなたの糧となるはずです。

みなさんの高校生活が悔いのないものになることを願っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。