【合格体験記】ロクでなしの東大受験【宅浪】

地方高校生に追い風を

【合格体験記】ロクでなしの東大受験【宅浪】


はじめに

宅浪についてみなさんはどのようなことをご存知でしょうか。宅浪については既にたくさんネット記事が量産されているので、何かしらご存知の方もいらっしゃるかもしれません。そんな中ではありますが、この記事では実際に宅浪した上で東大に進学した経験を踏まえて、宅浪についていくばくかの私見を述べさせていただこうと思います。適宜他の宅浪に関する記事を比較・参照してみると良いでしょう。


宅浪のメリット

宅浪のメリットとして以下の点が挙げられます。

  1. 自分の好きなように時間を使う(あるいは使わない)ことができる
  2. 予備校で浪人するのに比べて金銭面の負担がない
  3. 一人で勉強できる

以上がメリットと言えるでしょうけれども、しかしこれは裏を返せばデメリットとしても表現できることでしょう。


宅浪のデメリット

宅浪のデメリットとして以下の点が挙げられます。

  1. 生活リズムが乱れやすい
  2. 予備校という強制力(やお金を払っているという事実の重み)がない
  3. 孤独で辛い時に悩みを共有できる人がいない

自由に生活できるというメリットは裏を返せば規則正しい生活ができなくなるという風にも言い換えられますし、金銭面の負担がないということは「これだけのお金を支払っているのだから頑張らなくてはならない」という覚悟もなしに安易に浪人生活をしてしまうことにもなりえます。
一人で周りから悪影響を受けずに勉強できるとも言えますが、逆に捉えれば孤独で悩みを相談する友達がいない、よって精神的に辛くなればそれがいたずらに悪化していくだけとも言えます。


私の場合

以上のようにメリットとデメリットが混在しているのが宅浪ですが、私の場合、次のようにメリットとデメリットの折り合いをつけていました。

①自分の好きなように時間を使う(あるいは使わない)ことができる/生活リズムが乱れやすい、という点について。

私は生活リズムが乱れることについては妥協していました。規則正しい生活をしていた方が勉強をルーティン化しやすいということが仮に事実だとしても、生活リズムが乱れているから勉強できない、とは言えないのではないかと思います。厳しく言えば、「生活リズムが乱れて勉強に集中できない」というのは単に勉強していないことへの言い訳にすぎないでしょう。
どれだけ生活リズムが乱れていても勉強は問題なくできます。大事なのは規則正しく勉強をこなし続けることではなくて、一定水準の知識や解法を理解・習得することでしょう。
私は昼過ぎに起床することがままありましたが、昼食後(朝食なのかもしれませんが)そのまま勉強を始め、夕食後から深夜にかけて勉強していたので勉強量自体はそこそこ取れていました。昼過ぎに起きたなら昼下がりから明け方にかけて勉強すれば何も問題はないでしょう。

②予備校で浪人するのに比べて金銭面の負担がない/予備校という強制力(やお金を払っているという事実の重み)がない、という点について。

突然ですが一つ質問です。あなたにとって浪人、特に宅浪という選択はどれくらい異常な選択ですか。あるいは勇気の要る選択ですか。私にとっては安直に浪人する、宅浪する、という選択は到底できないものでした。私はそれ相応の覚悟をもって宅浪を選びました。私見ですが、ことの本質は覚悟にあるのではないでしょうか。予備校という強制力が仮にあったとしても覚悟もなしに、安直に浪人している人が勉強をどれだけできるのかは疑問ですし、仮に強制されて嫌々勉強したところで、どれだけ知識や解法を理解・習得できるのか、私には心配です。

ここで覚悟について一つ述べておきます。覚悟というのは要するに「勉強をどれだけ懸命にしようとも、あるいは逆にどれだけ怠惰になろうとも、それによって得られた結果は何であれ文句を言わずに自ら引き受けよう」と決心するということです。覚悟とは決して「1年間真面目に勉強するぞ!」と息巻くことではありませんし、まして「第一志望に合格するぞ!」と願望を表明することではありません。自分の選択で不利益を被ることを甘んじて受け入れる決心をすることが私の考える覚悟です。

③一人で勉強できる/孤独で辛い時に悩みを共有できる人がいない、という点について。

私は元来、勉強とは一人でするものだ、という考えの人だったので、また、私は孤独を耐えなければならないこともあらかじめ覚悟の上で宅浪を選んでいたのでこの点は甘んじて受け入れていました。あくまで私見にすぎませんが、仮に私が予備校に通っていたとしても、私が宅浪期に耐え忍んだ孤独感や悩みは変わらなかったのではないかと思います。というのは、他人の悩みに対して、特に受験という人生の大きな関門を前にした人の切実な悩みに対して適切な助けの手を差し伸べられるほど私たちは力強い存在ではないように感じられるからです。一応、悩みを共有するだけでも当人の苦痛は和らぐでしょう。しかし、それも一時のことで、本質的には受験が終わるまでその苦悩は終わり得ないでしょう。

私の場合、一次試験前まで、概ね12月前までは模試でも良い判定、素点を取っていたので特に精神的に辛くはありませんでした。より一般的には試験当日から遠ければ遠いほど切実に悩むことも少なくなりがちなので精神的に辛くなりづらいというのもあるでしょう。しかし、やはり一次試験、二次試験と受験当日が迫ってくるごとに相当しんどくなりました。どうしても不合格や当日の大失敗を想像すると辛くなります。私はそこである程度自分の精神力の限界を悟りました。即ち、「ああ、もう一年これを繰り返すのは無理だな」と。私はこれは幸福なことだったと思います。というのは自分の限度を理解できるというのは貴重なことだからです。自分の精神力の限界を知るというのも受験の合否は別として、重要な受験を通して得るべきことの一つではないでしょうか。


宅浪は選択肢になりうるか

私は宅浪して東大に合格しましたから、そのような「成功」例を念頭におけば宅浪して第一志望にこだわるのも悪くない、と強弁することも可能でしょう。しかし、私としてはそのような安直な、あるいは欺瞞的な主張は容認できません。

私としては高い目標にこだわるのも悪くはないですが、しかし一方で「頑張らないでいいや」と妥協することもまた悪くはないのではないかとも思います。私が思うのは、通俗的に「正しい」「良い」とされている選択肢を安直に選ぶということが果たして良いのかどうか、ということです。そしてさらに踏み込めば、通俗的に「正しい」とされている選択肢に飛びつくのの一体何が悪いのか、ということです。「頑張る」ことは通俗的にはいいことですが、しかしそれは何故でしょうか、「妥協すること」や「行きたい大学より行ける大学」という選択の何が問題なのでしょうか。

「頑張ることは良いことだ」という言明に対して「それは間違っている」とはっきり言うことは難しいけれども、反対に「別に頑張らなくてもいい」と言い切ることもまた、とても難しいでしょう。
要するに社会的に許容されている限度で頑張ることは正しいことだが、それを逸脱した頑張りは間違っているというところでしょうか。その社会なるものがある人に対しては現役合格を強要し、またある人に対しては「浪人してでも第一志望に拘れ」と命令するのかもしれません。ではその社会なるものの命令に従わなければならないのでしょうか。従わなければならないのならそれは何故でしょうか。

宅浪は選択肢になりうるのでしょうか。なりうる。しかし、ならないのかもしれません。答えはとても曖昧で「なる」と言える場合もあるし「ならない」場合もあるでしょう。安直に答えを求めて良いものでしょうか。「良い」宅浪と「悪い」宅浪があるのでしょうか。その良し悪しの判断自体が安易なものではないでしょうか。

宅浪の話のはずがいつの間にか随分とズレた話をしていたように思います。あるいはわざとそのような文章を書いていたのかもしれません。しかし、私は、宅浪すべきか、否か、と問われるべきではなく、そもそものところ「どこまで頑張るのか、あるいはどこまで頑張らないか」そして「良し悪しとは何か」という問いの方が本源的であると思います。宅浪という問題はその問いの付属品にすぎません。

私自身は「現役で地元の大学に進学するべきだ」という周りの、つまりは社会なるものの命令にあえて逆らって一年宅浪し、東大に進学しました。それが正しい保証はないし、間違っている保証もないです。正しくもないし間違ってもいない、という何とも歯切れの悪いことを書いていますが、私は安直に「正しい」あるいは「悪い」と述べることに抵抗感があります。
人の人生には、安易に「正しい」とも「間違っている」とも言えないです。そもそも「正しい」ことをすることが「良いこと」で「間違った」選択を「してしまう」ことが「悪いこと」なのでしょうか。あえて間違った選択をすることの何が問題なのでしょうか。それは自由なのではないでしょうか。こう考えると軽率な判断は不可能でしょう。だから、私は宅浪が選択肢になりうるか、測りかねるのです。


おわりに

この記事では宅浪について歯切れの良いことはあまり書きませんでした。というのも私自身が宅浪したことに対して「良かった」とも「悪かった」とも総括できていないからでしょう。宅浪して東大に進学できた。これは客観的事実です。しかしそこから宅浪して第一志望にこだわるのは良いことだ、という価値観は出てきません。これは言い換えれば現役で行ける大学で妥協することは悪いことだ、という価値観も導けないということでもあります。

本質的には宅浪を考えることは現役合格を考えることと異なりません。現役合格にこだわるのも、第一志望にこだわるのも本質的には同じだと思います。どちらであっても熟慮なしには良いものにはならないのではないでしょうか。熟慮を、あるいは葛藤を素通りして、見て見ぬ振りをして大学受験を終えることもできるでしょう。しかし、それで本当に良いのでしょうか。私は良くないと考えますが、それが本当なのか、私には分かりません。

ここまで明快さを犠牲にし続けた読みづらい文章を書き連ねてしまいました。本当にごめんなさい。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

あなたに追い風が届くことを祈っています。陰ながら応援しています

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